代表からのご挨拶

『「ここ」ではない「どこか」へ旅し、「何者」でもない「あなた」を試す舞台』へ

無限の可能性と、想像力の限界

あなたにとっての「ファンタジー」とはいったいなんでしょうか?

「指輪物語」のように、騎士が剣を振り、魔法使いが雷を呼び出し、ドラゴンが空を舞うものでしょうか。

「封神演義」のように、仙女が舞い、妖怪が暴れ、道士が法術を操るものでしょうか。

「千夜一夜物語」のように、ジンがランプから呼び出され、船乗りが七つの海をかけ、絨毯が宙を舞うでしょうか。

私にとってのファンタジーの原風景、
それはかの著名なるミヒャエル・エンデの傑作「果てしない物語」です。

エンデの類まれなる筆力によって描かれる、活き活きとしたファンタジー世界の風景。
私は主人公バスチアンと共に「ドラゴン」や「動く石の巨人」、「奇妙な住人たち」との冒険を心ゆくまで堪能しました。
だからこそ、中盤以降の展開には衝撃を受けずにはいられなかったのです。

中盤以降、読者であったはずのバスチアンは物語世界に入り込み、世界を救う存在へ変化し、
やがては世界を左右する力さえ持つようになります。

しかし、彼は神にはなれませんでした。
なぜなら、彼の想像力には限界があったから。

たとえファンタジーの世界であろうとも、想像できないものは実現しなかったのです。
バスチアンと私は共に自分の想像力の限界を知り、現実の自分自身と向き合い、現実へと還っていきました。

「果てしない物語」が私に与えた旅路は得難いものでした。
夢・希望、そして絶望との向き合い方、己の限界の見定め方……多くを示唆してくれました。
そこから、私にとってのファンタジーは「ここではないどこか、遠き異世界」を指し示すものとなりました。
同時に、ファンタジーの中へとその身を投じ、

「何者でもない自分自身として、己の限界を見定めたい」

という欲求を抱えるに至ったのです。

私たちは、「現実という限界」を演じている

「子供」「学生」「社会人」。私たちを包む社会は、様々な形で私たちが「何者であるか」を表します。その名札、肩書きは便利であるがゆえに、多くの人たちに受け入れられています。役者かどうかに関わらず、わたしたちは「何者か」を演じることに慣れきっているのです。

「この世は舞台なり。誰もが一役演じなくてはならぬ」とは、シェイクスピアの言ですが、社会生活を営む我々にとって「なんらかの役割を演じる事」は宿業のようなものなのかもしれません。

しかしながら今、私たちは現実の世界を舞台に役割を演じる事、即ち「ロールプレイ」をする事に慣れ親しみながらも、それに疲れてはいないでしょうか。周囲から期待される役割や自ら築いて来た肩書きに飽いてはいないでしょうか。あるいは、現状の自分自身に限界を感じる事はありませんか?
LARPは、これらの欲求を満たし、癒しや気付きとなる可能性を秘めているのです。

LARP(Live Action Role Playing)では、「この世界ではない異世界の地」で「この世界には存在しない誰か」として生きるという体験をする事ができます。それは全く別の人生、別人格を演じる事でありながら「丸裸の自分」を試す事でもあります。
なぜなら、私たちがいかなる人生、人格を演じていたとしても、その交渉や決断は、自分の物差しによっているからです。

現実世界において、「社会人」「子」「学生」「親」を演じて生きる私たち。

LARPによって、この世界ではない異世界の地で何らかの役割を演じて生きる私たち。

この二つに、本質的な違いはありません。違いがないからこそ――LARPで「この世界には存在しない誰か」を通じ、私たちは自分自身をより深く知ることができるのです。

「失敗」と「成功」が成長の果実を育てる

元来、人は試行錯誤の連続の中で失敗を母として成功を築き、成長の果実を育むものであると確信しております。しかしながら、現実社会では成功のみが求められ、成功だけが価値とされつつあるのも事実です。「失敗に学ぶ」ことが許されない世界では、成長の果実を手にしようにも限界があります。

では、社会生活から切り離した異世界の地で「丸裸の自分」を試し、成長のきっかけを得ることができたら?

現実世界で演じている「何者か」ではない、異世界に存在する「誰か」として、試行錯誤を行うことができたら?

そのとき、社会生活に戻った「何者かである自分」の手にも、成長の果実が握られているのではないでしょうか。

「あなたではないあなた」がもたらす、無限の可能性

CLOSSは、LARPを通じて皆様を異世界へと誘うでしょう。

LARPには「異世界の自分とは異なる人物」として振る舞う中だからこそできる「失敗」があります。現実の自分の肩書きを脱ぎ捨て「丸裸の自分」を尺度として「何者かを演じる」ことで掴み取ることができる「成功」があります。

「失敗」も「成功」も、等しくあなたの財産です。あなた自身が取捨選択して持ち帰り、自らの成長の礎とする事ができるのです。

CLOSSの目指すファンタジー。それは、空想にうつつを抜かすものではなく、空想の世界に自分を投影しながら成長し、現実に活かすために戻ってくるものなのです。

皆様にこれまでに出会うことの無かった「あたらしい世界」をLARPを通して旅し、「あなた自身を試す最良の舞台」をご覧に入れる日が来ますよう、お祈り申し上げております。

2017年3月28日
体験型LARP普及団体CLOSS代表 諸石敏寛